教員は教えながら、けっこう考えてる。

教えるだけじゃない、“考える先生”のつぶやき帳。

自由な裁量と育成の環境➁


教員の自由と、責任の話

私の勤務する学校は、かなり個性豊かな学校です。
とにかく自由で、子どもたちの個性を大切にし、遊びや日常生活から得られる気づきを大切にしています。
また、表現教育が多彩で、踊りや劇など、情操教育にも力を入れているのが特徴です。

教員の個性も尊重されていて、様々なチャレンジが許される環境です。
授業の進め方や教材の選定、時には教育計画そのものも教員が作り上げることがあります。
そのため、教員自身が学び続けることが求められます。
授業力や教材研究は、そのまま教員の評価に直結し、子どもたちの反応や保護者の評価にも影響するからです。

もちろん、自由があるということは、その分だけ責任も伴います。
最終的には学校全体で責任を負いますが、その前に教員一人ひとりが自分のクラスや授業に責任を持つことが求められます。

これは古い考え方かもしれませんが、昔の先輩に「いよいよ店開きだな」と言われたことがあります。
「担任になる」ということは、自分の教室という“お店”を構えるようなもの。
今ではチームで授業を行うことが一般的になっていますが、教員としての気概や覚悟を表した、なかなか味わい深い言葉だと思います。

ただ、「自由」は必ずしも負担が少ないわけではありません。
むしろ、自分の考えややり方に責任を持つ分、負担が大きくなることもあります。
責任を軽くするために「横並びの指導」を選ぶこともできますが、それは教員の個性を奪い、子どもたちにとっても退屈なものになる可能性があります。

公立小学校では、こうしたリスク分散のために横並びの指導が一般的だと聞きます。
これはこれで理にかなっていますが、私立小学校のように自由と責任を大切にする考え方も、やはり大切だと感じます。

これからの教育において、「自由」とどう付き合っていくのか。
子どもたちとともに成長していくために、教員自身も人間力を磨き続けなければなりません。

保護者との関わりや責任の問題については、また別の機会に。