「私立の先生って、自由でいいですよね?」
教育関係者や保護者から、そう言われることがあります。
確かに、教員一人ひとりに任される裁量は広く、授業の進め方や教材の選定もかなり自由です。
校風や教育方針に合わせて、子どもたちにどうアプローチするかを考える楽しさもあります。
でも、その自由には責任がついて回る——それも、なかなか重い責任です。
公立学校の場合、教育委員会が基本方針を決め、その枠組みに沿って動けばOK。
教員は与えられた教材や指導要領に従って授業を進めるだけでいい場合が多いです。
でも私立は違います。
教員が「自分の頭で考え、自分の責任で判断」しなければならない場面が山ほどあります。
例えば、私がやっている教務主任の役割。
教員、保護者、学校経営陣——さまざまな立場からの意見が飛び交う中で、
・教育的な視点 ・経営的な視点 ・伝統的な視点 ・社会的な視点 これらすべてを考慮して判断しなければなりません。
その判断が間違っていれば、子どもたちや保護者に迷惑がかかるだけでなく、
学校の評判や信頼にも大きな影響を与えかねません。
コロナ禍は、その厳しさを痛感させられた時期でした。
あの頃、世の中全体が混乱し、誰も正解を持っていない状況でした。
でも、私学は授業料をいただいている以上、何もしない選択肢はありません。
「授業料返還せよ」という声も一部からあがり、プレッシャーは相当なものでした。
オンライン授業の準備、学校行事の再設計、安全対策の見直し——どれも前例がない中で、
夜遅くまでZoom会議を重ね、教員同士で知恵を出し合い、戦略を練りました。
正直、眠れない夜も何度もありました。
公立学校であれば、教育委員会が指針を示してくれるかもしれません。
「何もしない」という選択も、場合によっては許されるかもしれません。
でも私学は違う。
「自分たちで決めなければならない」プレッシャーが常にあります。
もし判断を誤れば、その責任は現場の教員にダイレクトに降りかかってきます。
私のような管理職はまだしも、若手の教員や現場のスタッフにとっては、かなりの負担です。
さらに、上に立つ管理職の判断力も重要です。
時には理事長からの突然の命令が下り、現場が混乱することもあります。
そんなとき、上に立つ人が「判断能力のない管理職」や「視点の狭い管理職」だと、
現場の教員や子どもたちがその煽りをモロに受けることになります。
例えば、ある校長が、突然の方針転換を決断したときのこと。
教員たちが準備してきたカリキュラムが一瞬で無駄になり、
子どもたちの学びの計画も大きく狂うことがありました。
そのたびに現場は混乱し、教員たちは振り回されるばかり。
だからこそ、私は少なくとも、**「子どもたちが割りを食わないように」**
現場でできる限りのことをしてきたつもりです。
今は、労働基準法に則り、残業代も支給されるようになりましたが、
当時はそんなものは一切なく、夜遅くまで必死に働いていました。
それでも、「子どもたちのために」と思う気持ちが支えでした。
私学は私学で、悩みは尽きません。
でも、教員もまた成長していかなければならないし、
子どもたちにとっても、挑戦と成長の場であり続けたいと思っています。
そうやって、今日もまた教室に立ち続けるのです。