スマホとタブレットに子どもが“負けていく”現場から
今、子どもたちが静かに壊れていくのを見ている。
ICT教育を否定するつもりはない。
GIGAスクール構想の理念にも共感している。
一人ひとりの学びを支えるツールとして、タブレットは可能性に満ちている。
その点に異論はない。
だが、現場で子どもたちを見ていると、別の事実にも気づかされる。
**スマートフォンやタブレットに、“人としての土台”が負けていく現実**だ。
朝からぼんやりしている。
返事が遅く、目が合わない。
人と関わるのを避け、ちょっとしたことで苛立ち、自己中心的な言動が増える。
彼らは、自分の思い通りに動く世界に慣れてしまっている。
スワイプひとつで反応するアプリ、勝てるゲーム、聞きたい音だけが流れるイヤホン。
だが、現実の学校生活はそうではない。
人は思い通りには動かない。ルールがあり、集団があり、待つ時間がある。
その当たり前の社会に、耐えられない子どもが増えている。
原因は明確だ。
**スマホやゲーム機が“育ての主役”になってしまっている家庭がある。**
しかも、一定数ではない。かなりの割合だ。
ネット依存、ゲーム依存、睡眠不足。
それらが子どもたちの感情を鈍らせ、集中力を削り、社会性を蝕んでいく。
GIGAスクール構想は、タブレットを渡せば終わりではない。
本当のスタートはそこからだ。
家庭がそれをどう支え、どう制御し、どう子どもに向き合うかが問われている。
だが現実には、「忙しくてそこまで見られない」「学校に任せたからうちは関係ない」という家庭が少なくない。
さらに私立校では、「お金を払っているんだから学校で完結してほしい」という声も一部存在する。
子どもは、そんな大人の都合に合わせて育つわけではない。
放置すれば、自我が育つ前に、簡単に“低きに流れて”しまう。
だからこそ何度も伝えてきた。
家庭教育は、家庭にしかできない。
温かい空気、何気ない会話、家族の価値観。
子どもが人としての基礎を身につけるのは、家庭でしかない。
タブレットでは育たない。
ゲームでも、ネットでも、どんなに便利でも、それは埋められない。
学校もできる限りのことはする。
だが、子どもの“根っこ”を支える役割は、やはり家庭にしか果たせない。
家庭で、そして学校で。
**タブレットでは学べない、大切なものを。**
それを守り抜けなければ、子どもたちは本当に、負けてしまう。